大学生(22)に、お年玉を貰う権利はあるのか

 

 子供たちが何の根拠もなく親族に現金を請求し始めるお年玉という制度。そんな季節になってきました。ところで大学生にお年玉請求権はあるのでしょうか。

 

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 子供たちと言っていますが、かくいう私も毎年の正月、親戚に会ったときには「トリックオアトリート」と言わんばかり形相で「あけましておめでとう」という脅迫文を発すると共に、ポチ袋に入れられた現金を受け取っていました。これは明らかに許されざる行為。これを取り締まることができない日本の法律はなんて脆弱なんでしょう。恐らく他の子供たちもほぼ同じ犯行手口を利用していたと思います。

 

 

 

 

 

  

 このような歪んだ行為を繰り返す中で当時の私を含む子供たちは、正月のことを「何故か大人たちがお金をくれる日」と誤認し始めるわけです。彼らの認識の中に於いて、正月という祝日は、仮装が着物になってお菓子が現金になっただけのハロウィーンと同じです。

  

 

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 しかし毎年この窃盗紛いの行為を繰り返すうちに、とある疑問を微かに抱き始めるのです。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「僕はいつまで子供なんだ」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 思えば、小学校、中学校、高校、大学。敷かれたレールの上を走る電車のような人生を送ってきました。

 一度も止まることも無く、後ろを振り返ることもなくただただ走っていました。いつ「大人」という駅を通過したのかも、気づかないまま。

 

 

 

 

 

 

 そして遂に20歳の正月で夢から覚めました。

 

 

 

「あなたはもう20歳、今年で最後ね。はい、お年玉。」

 

 

 

 

 

 

 

 もう、私はお年玉を貰える年齢では無かったわけです。同級生の友人の中にはもう社会に出て、結婚している人だっています。自分の力でこの社会を生き抜いているわけです。ろくに働きもせず、ろく講義にもでず、終いには正月だからお年玉頂戴。何様だったのでしょうか。猛反省。もうお年玉くださいなんて言いません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところが次の年。

 

 

 

 

 

 

 

「あなたはもう21歳、今年で最後ね。はい、お年玉。」

 

 

 

 

 あれれれれ〜、何をおっしゃいますかおばあさん。去年、最後って言っていたじゃありませんかー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もしかして渡せるのが最後になるかもしれない。と言う意味だったのしょうか。。。考えるだけでぞっとします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから1年が経ちましたが、この「最後」が誰にとっての最後だったのか、若しくは単に忘れただけなのか、私には分かりません。そして、祖母も祖父も元気に暮らしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何かを渡す、渡される。と言う関係は両者が生存していることが前提です。お年玉を貰えることは、お年玉を渡せることは、孫と祖父母がお互いに元気で暮らしていることの裏付けの一つと言えるのかもしれません。

 

 

 

 

 

 最後が最後にならないよう、元気に暮らして欲しいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 本題に戻りましょう。学生という身分でありながら、もう大人。22歳にもなって従兄弟のチビ達と一緒にお年玉を請求するのはやめましょう。

 

 

 

 

 

 

 まあそれでもくれるって言うならしかたな〜〜〜〜〜く受け取るんですけどね。